2005年11月21日

高橋尚子復活

尚子 屈辱から2年、因縁の地で復活

尚子が因縁の東京で完全復活!東京国際女子マラソンは20日、東京・国立競技場を発着点とするコースで行われ、2年ぶりのフルマラソンとなった高橋尚子(33=ファイテン)は右足に3カ所の筋膜炎を抱えながら、35・7キロで一気にスパートし、2時間24分39秒の好タイムで優勝した。アテネ代表選考会だった03年大会で大失速して2位となったが、悪夢を払しょくして鮮やかに復活。来年のドーハ・アジア大会の代表選出が確実となり、悲願の08年北京五輪出場を視野にとらえた。スタート時の天候=晴、気温10・5度、湿度50%、南南東の風1・5メートル

 誰もが目を疑った。右足に全治1カ月の重傷を負っているはずの高橋が、35・7キロすぎに満を持してスパートした。驚くライバルを尻目にぐんぐんと差を広げ、1キロで約100メートルもぶっちぎった。異次元のスピード、よみがえったダイナミックなフォーム。苦しみ抜いた2年間と決別するためにひたすら突っ走った。

 03年に失速し、アテネ代表を逃した屈辱の上り坂では、心配になって後ろを振り返った。アレムに抜かれた因縁の39キロ地点。「大丈夫。いけるよ」と沿道のファンから声が飛ぶと、元気をもらったかのようにさらに差を広げた。国立競技場のトラックでサングラスを外し両手を広げて歓喜のゴール。00年シドニー五輪を制した、あの強い高橋がついに復活した。

 月桂(げっけい)冠を授与されると目を潤ませた。「42・195キロ、途切れることのない声援を頂いた。暗闇にいた私が、夢を持つことで充実した1日1日を過ごすことができた。またここから時間が刻めそうです」。03年大会で敗れアテネ切符を逃したことで、高橋の時計は止まっていた。再び前に進むためには東京で勝つしかなかった。

 レース10日前に負傷した。主治医からは出場回避を勧告された。「不安があった」と眠れぬ夜を過ごしたが、瀬古利彦氏(現エスビー食品監督)らを担当してきたマッサージ師を呼び寄せた。痛み止めの薬をのみ、ふくらはぎにはテーピング。懸命の治療が奇跡的な回復を呼んだ。

 前半はストライドは狭く、腕の振りもぎごちなかった。給水では右足に水をかけ、消耗を防いだ。「我慢の連続だった」35キロを乗り切ると、難所の坂に差しかかる前に一気に勝負を決めた。

 2年前は自分のために走ったが、今回はかけがえのない仲間のために走った。レース2日前、故障を公表した。本番への不安がピークに達したその夜、居ても立ってもいられず手紙を書いた。小出義雄代表と決別し、6月に立ち上げたチームQのメンバーにあてたものだった。どんな結果になっても、私はみんなに感謝している――。素直な気持ちをつづった。


高橋尚子選手はすごい強さを見せた。一人トレーニングしていたが、全体を見守る人のいない中、調整は大変だったろうと推測する。

普通は一人では、自分に対する甘えがでる。それを指導者なしでやりぬき、大きな大会で優勝するなんて考えられない。

悪夢の上り坂の前にスパートをかけるなんて、相当な自信がないと出来ない。

1ヶ月の足の負傷なんて、信じられない思いです。

また強い女の登場です。男も頑張らないとね。

精神的強さ、たくましさを持ったQチャン、頑張ってね。感動をありがとう。足は大丈夫ですか。
posted by jijibat at 08:09 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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